リトグリとプリンスIII

最近は同じCDを何枚も買うことが珍しくありません
ぼくは、それは間違っていると考えています

これを書いている2日後の2017年1月8日、Little Glee Monsterの初めての日本武道館ライヴがあります

このブログで「リトグリとプリンス」と題して2つ文章を書きました
その際に参考文献として利用したのが西寺郷太さん著の「プリンス論」でした(西寺さんはノーナリーブスというバンドのメンバーで音楽プロデューサーでもあります)

ぼくはこの本を2回通り読み終えていますが、1回目に読んだときに印象に残ったエピソードがあります

今から21年前の1996年、著者の西寺さんはプリンスの「ゴールド・ツアー」の日本公演を観に行ったそうです

そして、この公演の会場が日本武道館で、開催日が1月8日でした
プリンスが好きな人からすれば運命的ですが、そうでない人からすれば偶然と済まされてしまうかもしれません

ぼく自身はプリンスが好きなので嬉しいし、当日予想されている雨は彼が天井から降らす「紫の雨(Purple Rain)」なのでは?と感じざるを得ませんが

リトグリとプリンスのライヴの日時と場所が同じなのが、最も印象に残ったわけではありません(これだけでも相当なインパクトでしたが)
このプリンスのライヴで西寺さんが考えたことが興味深いです

当時西寺さんはメジャーデビュー前で、どうしたらプロになれるか、について非常に悩んでいたといいます
その悩みを抱えながら、この武道館でのプリンスを観て「この人の音楽にいったいいくら使っただろう?」と思ったといいます

自分がプリンスの音楽のために払ったお金が「日本に暮らしている西寺郷太の感謝の気持ち」として、わずかでも彼のもとに渡っているはずだ
そして、そのお金がもしかしたらプリンスが武道館のステージ上で使っているドラムのスティックやギターの弦に代わっているかもしれない

(以下「プリンス論」西寺郷太著より引用)
「俺は同時代に生きる最高の音楽家が、音楽に没頭することをサポートしている!」
そう思ったのだ。
もちろんそれは僕ひとりではない。武道館に集結したファンや世界中のファンが同じようにプリンスの音楽に救われ、楽しみたいと思っているから、彼はスターとなった。(中略)
ファンからその活動をサポートしたいと思われる存在になること。それがプロになる、ということだ。
武道館での素晴らしいライブで、彼はそのことを僕に教えてくれた。
(引用終わり)

いよいよ2日後に場所を同じくして行われるリトグリのライヴも、そこに来る来ないにかかわらず、一人ひとりのガオラーさんが彼女たちに費やしたお金がもとになっているはずです

しかし、CDを買ったお金だけをとれば、同じ内容のものを何枚も買っている人ほど、リトグリのためになっていることになります
ぼくが気になるのはここです

昨年11月にリリースされたリトグリのシングル「はじまりのうた」ですが、これは1万枚の限定生産でした
それだけではなく、1枚1枚にシリアルナンバーが振られ、ジャケットの色が6色に分かれていました
6色分のジャケットをそろえるために、6枚「同じ内容の」CDを買った人たちが批判されるツイートをいくつかぼくは見ました

ぼくは同じCDを買うことをお金の無駄遣いをしているという理由で批判しているわけではありません
ガオラーひとり一人がリトグリのために出したお金に財力によって差が出てしまうから、必要な分だけ・買える分だけしかCDにお金を出さないガオラーほどあまりリトグリのためにならない結果になるから、という理由で批判しています

わずかでもリトグリのためにはなるのだから、少ない金額しか出していない人があまり役立たないというのはおかしいかもしれません
しかし、同じCDを何枚も買う人がいれば、ガオラーひとり一人のリトグリに対する、西寺さんの言葉を借りれば「感謝の気持ち」に差が出てしまうのは事実です

2017年1月8日日本武道館、一人でも多くのガオラーさんが「みんなでリトグリを助けていること・応援していること」を思い出してほしいです
そして、リトグリの音楽に対する「感謝の気持ち」は平等に届けられるべきだということにも気付いてほしい、とぼくは願っています

参考文献「プリンス論」西寺郷太著



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