「#リトグリと出会った運命の時」
先日ツイッター上でこのタグを多く目にし、フォローしている方々がタグ付けをしてツイートしていました
ぼくもそれらに習ってツイートをしました
ぼくの場合、この時リトグリと出会ったといえるハッキリした瞬間はありません
なぜリトグリを今聴いているかというと、もともとゴスペラーズが好きで同じヴォーカルグループだからです
歌い継ぐグループ・ハモる音楽が好きだったからといえますが、他の方々はリトグリの曲を聴いてから彼女らの音楽に更に深く入っていったのに対し、運命とはいえないな、とも感じました
何はともあれ、今はゴスペラーズもリトグリもぼくは大好きです
感動をしてリトグリを聴き始めたわけではないものの、これからも彼女たちの音楽を聴くつもりだし、新たな感動を期待しています
リトグリを聴くようになったきっかけがぼくの場合はゴスペラーズでした
彼らの音楽を好きになったきっかけはリトグリのそれと違い、はっきりしています
大ヒット曲「ひとり」に当時小学生だったぼくは感動し、以来ゴスペラーズを好きなアーティストに挙げ、音楽を聴き続けています
このようにぼく自身が聴く音楽のルーツを辿っていくことで、原点となる「ひとり」をあらためて解釈したくなりました
この曲はサビと歌いだしの歌詞ならほとんどの方が知っているでしょう
今回テーマにするのはサビの後半の歌詞です
(引用)
たったひとりのため
歩いてゆくんだ
あなたに二度と
悲しい歌
聞こえないように
(引用終わり)
ぼくはここの歌詞が二通りの意味に捉えられると考えています
一つ目は、あなたといっしょに歩いていくという意味です
これから共に歩いていくあなたに悲しい歌を聞かせない、つまりは悲しい想いをさせないようにぼくはあなたと生きていくという前向きな気持ちといえます
二つ目は、あなたといっしょに、ではなく、自分ひとりで歩いていくという意味です
一度はあなたを愛したけれど、このままそばにいてもあなたに悲しい歌を聞かせることを続けるだけだ
だったら、ぼくがひとりで歩いていこう
あなたに悲しい歌が聞こえなくなる遠くまで
一つ目とは逆といえる、別れの悲しい意味です
そしてこの意味でとらえるとタイトルの「ひとり」も二通りの意味になります
まずはたった「ひとり」のあなたという意味の「ひとり」
そして、あなたから「ひとり」で離れていくぼくという意味の「ひとり」
ぼくのツイッターでこの2つの意味をツイートしたところ複数のリプが送られました(リプをしてくれた方ありがとうございます)
送られたリプでは全員が一つ目の意味で前向きに歌詞を捉えていました
ぼくからいわせればそれは間違っている、といいたいわけではなく悲しい面があまり目立たないのか、じぶんがずれているのか、と少し不安にもなりました
この歌詞が悲しく読める理由はぼくなりに考えています
別の歌詞を引用します
(引用)
別の夢追いかけたあなたが
今僕のそばにいるなんて
(引用終わり)
(引用)
疑ってた三月
涙が急にこぼれた
許し始めた五月
わだかまりも夏に溶けてく
(引用終わり)
これらの歌詞から一度は離れた恋人同士がやり直し始める物語が見えてくるでしょう
「三月」「五月」と具体的な時期を表す言葉が出てくることから、主人公が回想をしているのがわかります
一方で3回繰り返されるサビの歌詞は全て同じ言葉です
同じ歌詞を歌っているなら意味もずっと同じだろう、と考えるのが普通かもしれません
しかし、ぼくには2回目のサビは違う意味、先ほど書いた悲しい意味になると考えています
あなたに対して疑いが生まれ、僕らは離れた
でも、許し始めて今再び近づいた
過去から現在までのあなたについての記憶を辿る途中で、かつては二度と離さないと約束したけれど、悲しい歌を聞かせないようにぼくは遠くまで行こうとしてしまったという自らの過ちを主人公は思い出します
2回目のサビにはこのような意味があるとぼくは考えています
そしてぼくが悲しい意味というのは、この2回目のサビのことです
これからいっしょに生きていける喜びとは反対の、離れる悲しみを知っているからこそ、最後のサビが前向きに聞こえてくるというのが、ゴスペラーズの「ひとり」の歌詞に対する今のぼくの解釈です
もっともこの解釈も「ひとり」を聴き始めたころから考えていたことではなく、それこそ最近、リトグリを聴くようになってから浮かんできました
彼女らの質の高い演奏を聴くと、おのずと曲でも歌詞でもていねいに聴こう、理解しようという気持ちになります
16年前こんな時がくるとは想像できませんでした
運命的です